刻まれた花言葉と精霊のチカラ ―精霊と守り人少女の永遠の物語―

序章

002 血の契約とそれぞれの想い


 その日、いつものように村の近くの森で薬草を採取していた少女は、普段はあまり入らない小道へと足を踏み入れた。

 もしかしたら、こちらの方が薬草がたくさん見つかるかも――そんな期待が頭をよぎったからかもしれない。


 少女が薬草を探しながらしばらく歩いていると、少し開けた草地に突き当たった。

 そして、その草地の奥の古びた石造りの小さな建物が、少女の目に飛び込んできた。


「なんだろう? こんなところにあんな建物、あったかな。こっちにはあまり来ないけど……あれは……神殿?……こんな建物、無かったと思うんだけどな」


 少女は記憶にない風景に戸惑いながらも、乾いた草地を一歩一歩と進み、その建物に引き寄せられるように近づいていった。


 石造りの建物は神殿のようだった。

 周りには苔と蔦が絡み、楓の紅葉が風に揺れている。

 神殿のすぐ横には、樹齢数百年はあると思われる立派なオークの木が立ち、優しく見守るように大きく枝を広げていた。


 この光景に少女は不思議と温かい気持ちを覚え、自然と神殿の正面まで歩を進めた。



 少女は初めて見る神殿に目を輝かせながら、崩れかけた石の階段に足をかけて登り始めると、どこからか小さなどんぐりが転がってきた。


「あっ、どんぐりだわ。どこから転がってきたのかな」


 空のような青い瞳で空を見上げ、首をかしげつつも、足元に転がるどんぐりを拾い上げて、そっと手のひらに乗せた。


「形もきれいだし、まんまるでなんだか可愛いわね」


 どんぐりがお守りとして大切にされていた、という村の古い言い伝えをふと思い出し、少女はこのどんぐりをきゅっと手に握りしめた。

 そして、おそるおそる、でも少しワクワクした気持ちで神殿の中に足を踏み入れた。


 入り込む光のあたたかな空気感と静けさの中で、少女はしばらくぼんやりと立ち尽くしていた。



 しかし、外から響く雷鳴にハッと我に返った。


「いけない。薬草採取の途中だったわ。今日は早く帰ろうと思ってたのに」


 さっきまで晴れていた空から、ぽつりぽつりと冷たい雨が降り始めていた。



 少女は、握り締めていたどんぐりをカバンにサッと仕舞い、神殿を後にした。

 淡い金の三つ編みの長い髪を揺らしながら、タッタッタッタッと一定のリズムで足音を立て、元の道を急ぎ足で辿った。


 少女の足音が遠ざかり、その後ろ姿が見えなくなると、神殿は静かに光の中に消えていき、そこには何もない、ただの草地だけが広がっていた。



 ◇ ◇ ◇



 その日の夜。


 夜が更け、村が静かに眠りについた頃。

 少女は拾ってきたどんぐりをテーブルに置き、暖かな毛布に包まり、心地よい眠りに落ちた。


 それからどれくらいの時間が経ったのか、月明りも無い、薄暗い部屋のテーブルに置かれたどんぐりから、不思議な光がほんのりと差し始めた。


 その光に気づいて目を覚ました少女は、淡い光に包まれたどんぐりのそばに、小さな人形のような存在が佇んでいるのを見た。



 え、なに?



 目をこすり、瞬きをして目を凝らしてみると、その可愛らしい小さな存在は、まるで生きているかのように見えた。


「よ、妖精!?」


 驚きと好奇心でいっぱいになった少女は、思わず大きな声をあげるのと同時に、反射的に上体をのけぞらせた。


「ごめんね、起こしちゃった。ぼくは神殿に住む精霊なの」


 柔らかく優しげな、少し高めの声が夜更けの薄暗い部屋に満ちていった。



「……精霊?」


 どんぐり帽子を被った精霊は、柔らかな白銀の髪を揺らしながら、緑色の膝丈のケープを纏い、淡い光の中で静かに佇んでいた。

 その緑色の瞳は、まるで語りかけるように少女をじっと見つめている。



「君に会うためにどんぐりを落としたの。拾ってくれて、ありがとう」


 優しげで穏やかに微笑む精霊の言葉に、少女はどんぐりが偶然落ちてきたものではないと知り、ビクッと心臓が跳ねた。

 指先が毛布をぎゅっと掴む感覚だけが、目の前の奇跡が真実だと告げていた。


「私に、会うため? 私のこと知ってるの?」


 少女は早まる鼓動を感じつつも、当然の疑問を投げかけた。


「うん。知ってる。君は守り人。ぼくが住む神殿の守り人の末裔なの」


「守り人? 私が守り人の末裔!?  末裔って言われても、父さんや母さんからも何も聞いていないのに……。どうして分かるの?」


 少女は驚きのあまり声が震えた。

 震える自分の手のひらを凝視し、そこにあるはずのない、見えない鎖の重みがあるように感じた。



「守り人は精霊にとって特別なの。甘くてとてもいい匂いがする。守り人だけに継がれている匂いだから間違いないよ。……そして君は、ぼくの神殿、ぼくの守り人の末裔。それに、精霊は守り人にしか見えないの」


 精霊の言葉に困惑していた少女は、『精霊は守り人にしか見えない』と告げられ、納得するしかなかった。

 少女には精霊が見えているのだから。


「そ、そうなのね……」


 少女は、それ以上の言葉が出て来なかった。



 嘘みたいなあり得ない話のように思えるけど

 精霊さんが言うのだから

 そうなんだろうな……



 少女はふと、幼い頃によく聞いていた村に伝わる昔話を思い起こした。

 そして、精霊の言葉を振り返りながら、その小さな精霊に訊ねた。


「精霊さんの守り人、私がしなくちゃいけないの?  私に、できるのかな……」


「ぼくには精霊の力があるから心配しないで。守り人と精霊は共存関係っていうのかな。ぼくはどんぐりを依り代にして顕現するけど、精霊が見えるのも、精霊との意思疎通も、精霊に触れるのも、守り人だけ。君は特別なの!」


「私が、特別?」


 少女は特別という言葉に目を丸くした。


「そう。ぼくの力はね、小さなどんぐりから大きなオークの木に成長してまたどんぐりを実らせる。様々な動物たちがどんぐりを食べて運んで、ぼくは自然界のバランスを保つの。良い土ときれいな水、若さと長寿、成功と成長、繁栄と豊穣、守護と安全。ぼくの守護はとても強力なの。ぼくの守り人はぼくがずっと守護するから」


 少女は少し得意げな表情で話す精霊の説明を聞いて、『象徴』という言葉が脳裏をよぎった。

 


 精霊さんが言っていることは、どんぐりが象徴とするものだわ。

 どんぐり精霊さんは象徴と同じ力を持つってことね?



 薬草に詳しい少女は、草花の花言葉や象徴といわれるものが、効能や効果と結びついていることを知っていたため、精霊の言葉もすんなりと理解した。



 昔話が実話だったりする?



 そんな思いが心をかすめた。



「すごいのね、精霊さん。共存関係って言ったけど、そんなにすごい精霊さんが私と共存関係になって、精霊さんにはどんな得があるの?」


 共存関係とは持ちつ持たれつの関係、どちらにも利益があって成り立つ関係を意味する。

 少女は精霊に問いかけた。


「それは、あの……ぼくの力は本来、一人のために使わないの。それを、守り人の願いで行使するその代償というか……さっき少し話したけど、守り人はとても甘くていい匂いがするの。それは血の匂いで。だから守り人って分かるの。その血はぼくにとって、ごちそうなの」


 精霊は少し言いにくそうに、視線を逸らしながら打ち明けた。


 少女は『守り人の血が精霊にとって意味を持つこと』、『その血が精霊の力を借りる代償になること』を知り、ようやく腑に落ちた。


 それでも、精霊が持つ力と自分の血が同等の価値とは思えなかった。

 思えなかったからこそ、分かった気がした。



「精霊さんは、私の血が欲しいの?」


「ち、違うよ! 欲しいわけじゃないの。ただ、ぼくにとってごちそうってだけ。それに、ほんの少しだけ。指先を針で刺して……ちょっと血が出る、そのくらい。……少しだけでいいの」


 一生懸命に否定する精霊の表情は、言葉を連ねるうちにか細くなり、不安げな表情に変わっていく。


『少しだけでいいの』と視線を落としてはにかむ小さな精霊の様子は、まるで告白のようで、少女はキュンと心を掴まれたような感覚を覚えた。



 欲しいわけじゃないって言うけど、血を飲む方法も量も教えてくれたわ。

 精霊さんはどうしても”ごちそう”が欲しいのね。



 少女が精霊をじっと見つめていると、見られていることを感じ取ったのか、精霊はチラッと目を合わせると、モジモジとしてまた視線を落としていた。



 なんだかすごく可愛いんだけど!?



 少女は可愛いものに弱かった。


「それで精霊さんの力を借りることができるのね。共存関係……そっか。わかったわ。ところで精霊さん、お名前はあるの? なんて呼べばいいかな」


 この小さなどんぐりの精霊を気に入ってしまった少女は、血をあげることを心に決めて、精霊の名前を尋ねた。


「……ぼくの名前はリーフ。森の葉っぱのように、自然と共に生きる精霊なの」


「リーフ。可愛い名前ね! 私はティエラ。みんなはテラって呼ぶの」


「ティエラ、ステキな名前。ぼくもテラって呼ぶよ」


「そうだ。リーフ、ちょっと待ってて」


 テラは棚から裁縫箱を持ってきて、新品の針を取り出した。



 少し痛いけど普段でもよくやっちゃうし、大したことじゃないわ。



 針を指先に刺すと、チクッとしたほんの少しの痛みが走る。

 指先を押さえると、血がぷっくりと盛り上がってきた。


「はい、どうぞ」


 テラは優しく微笑み、その指先をリーフの目の前にスッと差し出した。


「い、いいの!? でもね、テラ。これは血の契約なの。さっきは説明省いちゃったけど……」


 パッと嬉しそうな顔をしたと思うと、すぐにシュンと弱気な表情に変わり、まるで小さな子どものように感情が変化するのを見て、テラは微笑ましく感じた。



 リーフって分かりやすくて可愛いのね。

 まさに無垢! って感じだわ!



 血をあげてもいいと心に決めていたテラは、『血の契約』と聞いても特に動じることは無かった。


「血の契約? それはどんな契約なの?」


 テラはにこやかな表情でリーフに尋ねた。


「ほかの精霊に血をあげないで。ほかの精霊と契約しないで。ぼくも他の守り人から血をもらったりしない。ぼくはテラだけ。……契約が上書きされて、ぼくとの絆も守護も消えるから……」


 テラはリーフの表情を食い入るように見つめていた。

 リーフがきっぱりと『テラだけ』と話し、『絆も守護も消えるから』と寂しそうにする様子を見て、テラはどんぐりの花言葉を思い出していた。


「わかった。いいよ、リーフ。私がリーフの守り人になったら、リーフは私のそばに居るんでしょう?」


「うん、ずっとそばに居る……」


「そう。リーフがそばに居てくれたら、きっと毎日が楽しくなるわ。だから、どうぞ」



 リーフはテラの顔色を窺うように見つめながら、テラが差し出した指先に小さな手をそっと添えた。


 ほんとにいいの? と期待半分、不安半分といった不安交じりの瞳で見つめるので、テラはにっこりと微笑んでみせた。


 リーフは指先に視線を移し、血をペロリと舐め、口づけをするように指先の小さな傷口に唇を当て、目を閉じてチュチュッと吸い続けた。

 血の摂取は1分もかからずに終わり、リーフが閉じていた目を開くと、その瞳は一層強く光を放ち、緑色の瞳はキラキラと宝石のように煌めいていた。



 ◇ ◇ ◇



 リーフは本当に久しぶりの守り人を得て、ホッとするように穏やかな眠りに誘われていた。

 こんなふうに眠りにつくのも、800年ぶりだった。



 700年、いや800年ぶり? 甘くてとてもいい匂い。

 守り人の匂いは人によって違うんだ。

 君の匂いは……

 ぼくの最初の守り人、

 そしてぼくが守り切れなかった守り人、

 あの人と同じ匂い。


 まるであの人が再生したような。


 ぼくはずっと昔に大切なあの人を死なせてしまって

 悲しくて情けなくて、

 今までずっと引き籠ってた。


 君のことはずっと前から知ってたんだ。

 君の笑顔も泣いていた姿も。


 共存関係なんて言ったけど、

 血の契約はぼくにとって永遠の愛と絆を誓うもの。

 そしてぼくの力を何倍にも高めてくれるもの。


 他にもあるけど……


 知ったら……テラは怒るかな……?


 いま、君の前に姿を現した理由も言ってないし、

 でも君は本当に特別で……

 だからぼくは……今度こそ……

 ずっと一緒に……zzzZZZ……



 ◇ ◇ ◇



 血を摂取したリーフが、小さく丸まって、眠っている。

 テラは、手のひらに乗るほどのその小さな姿がとても可愛らしく思えた。

 小さな精霊、リーフがすやすやと眠る様子を、テラはじっと見つめていた。



 精霊さん初めて見たけど

 本当にいたのね。


 昔は精霊がいて、精霊が棲みついた土地には

 精霊の恩恵があって精霊信仰もあった、

 なんて昔話を聞いたことがあるけど……

 精霊ってもうちょっと怖い存在なのかと思ってた。


 どんぐりの精霊だから

 こんなにかわいいのかな?


 血が欲しいのか聞いた時、

 違うって言ってたけど

 あれは絶対ウソよね。

 欲しそうにしか見えなかったわ。


 だから、あげてもいいかなって思ったの。


 血の契約の話の時、

 どんぐりの花言葉を思い出したわ。


『永遠の愛』と『もてなし』


 絆と守護って言ってたけど、

 花言葉は性質を表わした象徴的なもの。


 聞きたい事は色々あるけど、

 これから一緒に居てくれるなら、

 いつでも聞けるよね。


「おやすみなさい、リーフ」