刻まれた花言葉と精霊のチカラ ―精霊と守り人少女の永遠の物語―

第二章『旅』 ノーサンロード編

033 押し花の依り代


 リーフがテラに花束を贈って、ほんわかしたふたりの時間を過ごした翌朝の夜明け前。


 冷えた空気がゆっくりと漂い、消えた焚火のあとにはうっすらと朝霜が降り、静けさに包まれたファルとヘリックスのテントからはファルの寝息だけが微かに聞こえていた。


 ヘリックスはファルに確かめておきたいことがあった。

 それもなるべく早めに確かめたかったこと。

 ヘリックスはそっとファルを起こし、訊ねた。



「ねぇファル。リモから貰ったもので、今でも持ってるものある?」


「……こんな早くに起こして何かと思ったら……ひとつだけ持ってるよ。これだけは手放せなくてな」


 ファルはまだ眠そうにぼんやりとしながらバッグを探り、小ぶりな一冊の本を取り出した。

 その表紙には長い年月を感じさせる風合いがあった。

 そして、本にはしおりが挟んであり、そのしおりはピンク色のスターチスのドライフラワーが押し花になっていた。



「やっぱり。ファルが持っていたのね」


「なんだ? どうしたんだ?」


「これ、リモの依り代よ」


 ファルが肌身離さず持っていた、過去にリモから貰ったしおりは、リモの依り代。

 ファルはそれとは知らずに、ずっと大切に持っていたのだった。


「ええっ! 依り代ってあれだろ、ヘリックスもリーフもだが、依り代から顕現するよな。このしおりはリモと契約してすぐくらいの頃に貰ったんだ。大切にして、いつも持っていてって……これ、依り代だったのか……」


 ファルは驚きに息をのんだ。

 指先でしおりの感触を確かめながら、今まで持ち歩いていたその存在が、リモの依り代だったことに衝撃を受ける。



「そうよ。リモはずっと、ここにいたってこと」


「そんな……もうずっと前に離れたと思ってたのに、こんな近くに……すぐそばにいたなんて……」


「リモとの契約は切れてるけど、契約が切れたからってそれで依り代が持てないわけじゃないから、ずっとそこにいたのよ、リモは。

 ただ、ずっと依り代の中にいたんでしょうね。

 最近になってファルの所に突然現れたり、どうやって? って思ったのよ。

 契約が切れたら依り代は燃やすか壊すか、精霊が持つか。

 まあ契約は関係なく、誰かが持ってくれたらいいのよ。

 もしくはどこかに置いておくか。

 精霊が依り代を持って人間界で一人でウロウロ出来ない。

 それが出来ると、どこへでも行き放題になるわ。

 精霊が自分で持つなら、精霊は元々宿っていた場所に戻るか、精霊界を行き来するしかないの。

 だから、ファルが依り代を持ってるのかなって見当はついたけど」



 ファルはすぐに、リモの依り代に優しく穏やかに呼びかけた。


「リモ? 出てこないか? 君に会いたいんだ」


 少しの間をおいて、スターチスの押し花が淡く光を帯びいく。

 その輝きがゆっくりと広がり、静かな朝の空気の中で柔らかな光が揺らめき、まるで眠っていた存在が目覚めるかのように、リモが顕現した。 




「ファラムンド……」


 リモが現れた瞬間、ファルの心に溢れる感情が込み上げた。


「リモ、こんなに近くにいたのに……気付かなくてごめんな」


 そう言うなり、ファルはリモを優しく抱き寄せた。

 ファルとリモは人と精霊だけれど、150年もの間ふたりは恋人として過ごしてきた間柄だった。


「リモ、どうしてこんなことになったの?」


「ヘリックス……私、ファラムンドに子どもを……もってもらいたくて……」


「でもリモは、永遠に変わらない愛、変わらない心、途絶えぬ記憶、あなたがファルを忘れるわけがないのよ。ただ、人の気持ちを引き立てるから、ファルの弟や妹を想う気持ちが引き立ってしまったのね。ファルって誕生日はいつなの?」


「俺は8月7日だよ。なんでだ?」


「赤いサルビア。誕生花よ。家族愛、それも相まってってところかしら」


「私が悪いの……ごめんね、ヘリックス……」


「でも、リモはそれでいいの? ファルが子どもをもつってことは、誰かと結婚したり他の誰かと結ばれるってことなのよ?」


「…………」


 リモは俯き、言葉に詰まってしまう。


「俺が子ども好きで、年の離れた弟や妹のことをいつも思い出して口にするからって、変な気を回して俺に子どもをと思ったのか……それで子孫繁栄を約束するヘリックスに会わせたんだろう? それがリモの願いなら、俺はそうするよ」


 ファルはとても悲しそうに、とても寂しそうに自分の意志を口にした。


「ファラムンド……そのしおり、もう燃やしてほしいの」


「……燃やしたらどうなるんだ?」


「精霊界に強制的に帰るわ……」


 ファルはリモをじっと見つめているのに、リモはファルの目を見ることが出来ず、視線を合わせられない。


「……それがリモの願いなのか?」


「……そうよ……」


 俯いたままのリモの言葉を、ファルはそのまま受け取ることが出来ない。

 本心だとはとても思えないから。



「ヘリックス、さっき言ってたよな。永遠に変わらない愛、変わらない心、途絶えぬ記憶、あなたがファルを忘れるわけがないって」


「ええ。精霊は花言葉に由来した性質を持ってる。霊核に刻まれたこの性質は絶対なの」


「だ、だって……ファラムンドがいつまでも依り代を処分しないから……依り代がある以上、そこに顕現してしまうの。依り代は燃やして。……二度とファラムンドの前に現れない……」


「なあ、ヘリックス。そうしたら、リモの気持ちは変わるのか?」


「変わらないわ。永遠にファルを想い続けるだけよ」


 ファルはリモをじっと見つめた。リモの本当の気持ちを聞きたいから。


「ファラムンド……私のこと嫌いにならないで。それだけでいいから……」


「……君を嫌いになんてならないよ。君と離れて50年経ったけど、俺はその50年の間に子どもを持たなかった。結婚もしなかった。……なぜだと思う? 俺は長く生き過ぎたんだ。周囲の人はみな知らない人ばかりで、どこか遠くにいる人間みたいだった。……この世界で俺は孤独だった。……精霊からはよく声をかけられたが、契約はしなかった。君を愛しているからだ。……ヘリックスと契約したのは、君がそうしろって勧めたからだよ。君の願いはなんでも聞くのが俺の役目だからな。ヘリックスが世代交代、子孫繁栄だと聞いて、わかったんだ。そういうことかってね。……俺は50年間、どうして君が俺との契約を解除したのか、そればかり考えて生きて来たんだ」


 ファルのリモを想う気持ちは離れていた50年間もずっと変わらず、むしろリモを想う気持ちは積もる一方だった。


「もう。リモ? あなた、素直にならないとだめよ? リモはファルに子どもをもたせてあげたいと思ったのでしょうけど……それは人の気持ちを引き立ててしまう自分のせいでもあるって思ったからなんでしょうけど、でも、ファルの気持ちはどうなるの? ファルはこんなにリモを愛しているのよ? それに、リモだってファルを愛している。愛し合っているのに、離れ離れになる必要ないわよね? 元のさやに納まったらどうなの?」


「だけど、それだとヘリックスはどうなるんだ?」


「私は別に構わないわよ。また守り人を探すだけよ」



 リモと契約をすれば、ヘリックスとの契約は自動的に解除される。

 若返らせ長い時間を与えてくれたヘリックスに何も返せていない。

 俺はヘリックスに何も報いていないのに、ここで別れることになるかもしれない。

 それでも――。



「そうか。……ありがとう、ヘリックス」


 ヘリックスに礼を言うと、ファルはリモの目の前に歩み出て、リモの体を引き寄せ、リモの淡いピンクの瞳を見つめながら穏やかな表情で優しく問いかけた。



「リモ、君はどうしたい? 君の本当の願いを、心からの願いを、教えてくれないか」


 しばしの間をおいて、リモがようやく口を開いた。


「私……ほんとは離れたくないの……あなたに触れたくて、触れられたくて、寂しかった……」


 消え入りそうな小さな声で本当の願いを声にして紡ぐと、リモの潤んだ目から一筋の涙がこぼれ頬を伝う。


「また俺と契約してくれるか?」


 ファルの温かい手がリモの頬に触れ、優しい指先がリモの涙をぬぐい、淡いピンクの柔らかな長い髪をそっと撫でる。



「……愛してる……ファラムンド……あなたと口づけ、したい……」


「もう二度と俺の前からいなくならないでくれな。愛してる、リモ。俺は永遠に君のものだよ」


 そう言ってファルはいつものようにニカッと笑った。



 リモの契約方法は、唾液の交換、つまり、口づけ。

 そうして契約した守り人は『不老』となる。


 ふたりはお互いを抱き寄せ、存在を確かめるように軽い口づけを交わした。

 ふたりの唇が触れ合った瞬間、静かな空気が震えるように感じられた。

 50年の間に積もった寂しさと愛しさが、その一瞬に溶け込んでいく。


 そして、抱き寄せ合い見つめ合うふたりは、どちらからともなく自然にゆっくりと距離を縮め、再度、唇を重ねる。50年の寂しさと愛しさを埋めるように、深く長い口づけを交わした。


 唾液の交換という契約の儀式は、ただの行動ではなく、魂と霊核が再び結びつく瞬間だった。

 その瞬間、リモの霊核は微かに輝き、ファルの心に温かな光が広がった。

 ファルとリモは50年ぶりに再契約を果たしたのだった。