刻まれた花言葉と精霊のチカラ ―精霊と守り人少女の永遠の物語―

王都編

059 力の消耗


 土砂崩れは、イーストロード本道ではなく、そこから北に分岐する宿場町への連絡道で発生していた。

 本道そのものは無事で、通行に大きな支障がないのは幸いだった。


 ファルたちは土砂崩れの現場を離れ、近くの町へと移動しながら、話をしていた。


「本当にリーフはすごいのね。改めて、リーフ、本当にありがとう」


 テラはリーフを手のひらに乗せ、もう片方の手でリーフを包むようにして撫でた。


「ううん。ぼくは力を使っただけ。ファルが一生懸命に動いてくれたから。ファルのおかげ」


「俺は動くくらいしか出来ないからな。リーフのおかげだよ! ははは」


「でもファラムンド、あまり無茶はしないでね?」


 リモはファルの行動力が心配だった。

 今回はリーフがいるから良かったけれど、そうでなければ危なくて仕方がない。


「だけど、リーフ、かなり消耗したでしょう? 相当な力を感じたもの」


 ヘリックスはテラと共に後から現場に到着したけれど、リーフの力をずっと感じていた。

 その力の圧倒的な強さに、リーフがかなり消耗しているのではと思っていた。




 声をかけてくれた宿の主人は、何人かの他の町人らと話しながら前を歩いていた。

 どうやら、子どもの身元、行先などを確認しているようだった。


「あの子の馬車、王都へ行くって御者が話していたのを聞いたぞ」


「一緒に乗っていたのは付き添いかね?」


「子どもはひとまず安静にしてもらって、起きたら話を聞くことにしよう」


「身元が確認できるものは何も無いか……」


 救助された子どもは、急ぎ、町の施療院に運ばれている。




 ファルとテラは施療院からほど近い、宿の主人が先導する宿屋へと向かう。


「ちょっと聞きたいんだが、体を洗うことは出来るか?」


 ファルはその宿の主人に尋ねた。


「ああ、風呂があるから入ってくれ。服も洗濯できるから、出しておいてくれたらいいよ」


「お、洗濯までしてくれるのか?」


 ファルは思わず眉を上げる。

 旅の途中で、こんな手厚い宿はなかなか見つからない。


「うちの宿は洗濯付なんだ。通常は有料だが、兄ちゃんは子どもを助けたヒーローだからな。サービスするよ」


 宿の主人はにかっと笑い、誇らしげに胸を張る。

 その様子に、ファルもつられて笑った。


「ははは。ありがたい。助かるよ」


 穏やかな町の雰囲気が、救助の余韻に染まった身体をゆっくりとほぐしていく。


 宿の部屋は隣合わせで2室借り、一旦ファルの部屋に皆で集まっていた。

 救助の疲れがじわじわと身体に染みつき、泥まみれの服が肌に貼り付いて不快だった。

 ファルはすぐに風呂で汗と土を流すことにする。


「俺、ちょっと風呂入ってくるから。それから飯でいいか?」


「ええ。待ってるから、ゆっくり入ってきて」


 テラは穏やかに微笑んだ。

 このひとときだけでも、ファルにしっかり休んでもらいたい。


「ああ、じゃ、ちょっと風呂入ってくる」



 ファルが風呂へ向かった後、静かな空気が流れる。

 その場に残ったリーフの周りには、ヘリックスとリモが寄り添っていた。


「リーフはかなり消耗したんじゃないかしら? 大丈夫なの?」


 ヘリックスはリーフの表情をじっと覗き込む。

 リーフの瞳はいつものように光を宿していたけれど、どこか微かに揺らいでいるようにも見えた。


「うん、大丈夫だよ」


「リーフ、ファルに危険が及ばないように、かなり力を使ってくれていたの。本当にありがとう。リーフのおかげでファルも無事だったのよ」


 リモもリーフの消耗を感じ取っていた。

 ファルは不老だけれど、不死ではない。

 ファルを危険に晒さないための、リーフの細心の注意とその力が、彼女には分かっていた。


「ありがと。でもまだ大丈夫だから」


 リーフは軽く微笑みながら答えたものの、その声はどこかいつもより少し弱々しく感じられた。


「リーフ、疲れてない? みんな心配してるし……部屋で休もうか?」


 テラはそっとリーフの顔を覗き込んだ。

 光は宿っている。でも、その輝きは、いつもよりどこか儚く、不安定に揺らいでいるように見えた。

 テラは躊躇いながらも、そっとリーフを手に乗せて、自室へ移動することにした。


「大丈夫、そんなに心配しないで」


 けれど――ヘリックスとリモの視線は、 まだリーフの様子を気にしているようだった。



 ヘリックスとリモが心配するのも無理はなかった。


 精霊の力は睡眠である程度は戻る。

 けれども、大きく消耗した場合には、精霊界にある『自分の住処』へ戻り、根本的な回復が必要になる。

 その住処とは、霊核を癒し、力を再び満たすための場所――いわば、精霊の命を支える『回復の拠点』だ。

 過度な消耗があったとき、精霊は強制的にそこへ帰される。


 問題は、今のリーフに『帰る場所』がないことだった。

 精霊界の住処へ辿り着くには、依り代からその住処に『名で繋がる』必要がある。

 しかしリーフは、そこに行ったことすらなく、名前も与えていない――

 今帰れば、精霊界の広大な空をただ彷徨うだけになるかもしれない。




 ファルは風呂から部屋へ戻り、髪を軽く拭いながら、温かい湯気の余韻を感じつつ着替えた。

 救助の緊張がようやく解け、深く息をついた。肩から静かに力が抜けていく。


 腹も減ったし、テラを誘って夕飯とするか――。


 ファルは隣室のドアをノックし、テラに声をかけた。


「テラ、夕飯、食いに行こう」


 声はいつもより落ち着いていて、わずかに疲労の色が滲んでいた。


「ファル、宿の食堂でいい? ちょっとリーフが心配なの」


 扉を開けてファルと対面しているテラは、少し迷うように言いながら、思わず後ろを振り返る。

 窓辺に座るリーフの後ろ姿に視線を向ける。


「リーフ、どうかしたのか?」


「リーフ、かなり力を使ってたみたいでヘリックスとリモが心配してたの。私も心配になって……」


 テラの指先が、いつの間にか服の裾をぎゅっと握っていた。

 その小さな動作に、彼女の不安が滲んでいた。


「ああ、テラからも褒めて労ってやってくれな。かなり頑張ってくれて、救助する時もあの場にいた全員が危なくないように、ずっと力使ってたんだ。俺が怪我しないようにしてくれたんだな。……やっぱリーフはすげーよ」


 わずかな笑みとともに、ファルの眼差しが静かに温かさを帯びた。

 それは、リーフへの深い感謝の証だった。




 夕飯を早々に済ませて部屋に戻ると、小さなリーフは窓辺にいて、外を眺めていた。

 体がうっすらと発光していて、まだ何か力を使っている様子だった。


「リーフ、戻って来たよ。今日はヘリックスはファル達のところだって」


「うん、お帰り、テラ」


 リーフは後ろ姿のまま、返事をした。


「何かしてるの?」


「ううん、もう終わったから」


 発光していた光が収束すると、リーフはテラのほうに振り返って微笑んでみせた。

 土砂崩れの原因は、リーフの感覚ではおそらく土壌が痩せていること。

 そのため、再び起こるのではと、土砂崩れ現場やその周辺を探っていたのだった。



「そう……。疲れてない?」


「ちょっと疲れたけど、平気」


 その言葉に少しだけ迷いが滲んでいるのが、テラにはわかる。


「血、いまから飲む?」


「うん、そうする。ごめんね」


 リーフをそっと手に乗せてベッドの枕元に運ぶと、荷物の中から針を取り出し、慣れた手つきで指先を刺す。

 ぷっくりと膨らんだ赤い雫が、指先に光を宿していた。

 テラはその輝きを見つめながら、そっとベッドへ腰を下ろした。


「はい、どうぞ」


 リーフは柔らかな瞳でテラを見上げる。


「毎日ありがと、テラ」


 血を摂取したリーフは、柔らかな光を纏いながらゆっくりとその姿を変え、王子様なリーフになった。


「テラ、もうちょっと、こっち、きて?」


「ん?」


 リーフはそっと手を伸ばし、 静かにテラを引き寄せると、リーフの体はふわりとベッドへ沈み込むように横たわった。


「リーフ? 大丈夫?」


「ごめんね、すごく眠くて」


 テラはそっと微笑んだ。

 今日は本当に頑張ってくれた。

 それがわかるからこそ、温かく言葉をかける。


「今日はいっぱい頑張ったものね。今日よりもっと幸せな明日が待ってるわ。おやすみ、リーフ」


 抱きつかれていて動けなかったテラは、おでこは届かないと気付き、頬にちゅっとキスをした。


「うん、おやすみ。今日も、温めるから……大好き、テラ……」


 囁くような言葉が夜気に染み込んでいく。

 まるで夢の中へと静かに消えゆくようだった。



「こんなに疲れてるのに、温めるなんて」


 今日くらい、そんなことしなくてもいいのに。

 いつもより強く、しっかりと抱きしめる腕。

 大きな姿、王子様なリーフになるだけでも力を使うのに……


 そこに込められたものが、リーフの疲れだけでないような気がした。



 いや、ちょっと身動きが取れないけど!

 もう……リーフったら……。


 だけど、今日はすごく疲れたのね。

 こんなに早く寝ちゃうなんて。


 ファルが怪我をしないように、それに、子どもだけじゃなくて、あの場にいた人たち皆を守ってくれたんだもの。

 ほんとに優しくて、頼りになるのね。


 テラは、穏やかに眠るリーフの顔をじっと見つめた。

 整った横顔、なめらかな白銀の髪、そのすべてが夜の静けさに溶け込んでいた。


 寝顔、やっぱり、すごくかわいい。

 どうしようもなく可愛くて、つい笑みがこぼれてしまう。

 隠そうにも、抑えきれないほどに。

 こんなにかわいくて、カッコよくて、とっても優しくて、甘くて、頼もしいリーフが『好き』と言ってくれる。


「私も、大好きよ。リーフ」


 今まで一度も恋愛的な意味で『好き』と言ったことはない、はず。

 だからこそ――今も、そのつもりはない、つもり。

 たぶん、この『好き』も、決して、決して……そんなわけはない。

 テラは、そう信じ込むように自分に言い聞かせる。

 今夜のテラは――親性脳の『束の間の』大勝利だった。