土砂崩れは、イーストロード本道ではなく、そこから北に分岐する宿場町への連絡道で発生していた。
本道そのものは無事で、通行に大きな支障がないのは幸いだった。
ファルたちは土砂崩れの現場を離れ、近くの町へと移動しながら、話をしていた。
「本当にリーフはすごいのね。改めて、リーフ、本当にありがとう」
テラはリーフを手のひらに乗せ、もう片方の手でリーフを包むようにして撫でた。
「ううん。ぼくは力を使っただけ。ファルが一生懸命に動いてくれたから。ファルのおかげ」
「俺は動くくらいしか出来ないからな。リーフのおかげだよ! ははは」
「でもファラムンド、あまり無茶はしないでね?」
リモはファルの行動力が心配だった。
今回はリーフがいるから良かったけれど、そうでなければ危なくて仕方がない。
「だけど、リーフ、かなり消耗したでしょう? 相当な力を感じたもの」
ヘリックスはテラと共に後から現場に到着したけれど、リーフの力をずっと感じていた。
その力の圧倒的な強さに、リーフがかなり消耗しているのではと思っていた。
声をかけてくれた宿の主人は、何人かの他の町人らと話しながら前を歩いていた。
どうやら、子どもの身元、行先などを確認しているようだった。
「あの子の馬車、王都へ行くって御者が話していたのを聞いたぞ」
「一緒に乗っていたのは付き添いかね?」
「子どもはひとまず安静にしてもらって、起きたら話を聞くことにしよう」
「身元が確認できるものは何も無いか……」
救助された子どもは、急ぎ、町の施療院に運ばれている。
ファルとテラは施療院からほど近い、宿の主人が先導する宿屋へと向かう。
「ちょっと聞きたいんだが、体を洗うことは出来るか?」
ファルはその宿の主人に尋ねた。
「ああ、風呂があるから入ってくれ。服も洗濯できるから、出しておいてくれたらいいよ」
「お、洗濯までしてくれるのか?」
ファルは思わず眉を上げる。
旅の途中で、こんな手厚い宿はなかなか見つからない。
「うちの宿は洗濯付なんだ。通常は有料だが、兄ちゃんは子どもを助けたヒーローだからな。サービスするよ」
宿の主人はにかっと笑い、誇らしげに胸を張る。
その様子に、ファルもつられて笑った。
「ははは。ありがたい。助かるよ」
穏やかな町の雰囲気が、救助の余韻に染まった身体をゆっくりとほぐしていく。
宿の部屋は隣合わせで2室借り、一旦ファルの部屋に皆で集まっていた。
救助の疲れがじわじわと身体に染みつき、泥まみれの服が肌に貼り付いて不快だった。
ファルはすぐに風呂で汗と土を流すことにする。
「俺、ちょっと風呂入ってくるから。それから飯でいいか?」
「ええ。待ってるから、ゆっくり入ってきて」
テラは穏やかに微笑んだ。
このひとときだけでも、ファルにしっかり休んでもらいたい。
「ああ、じゃ、ちょっと風呂入ってくる」
ファルが風呂へ向かった後、静かな空気が流れる。
その場に残ったリーフの周りには、ヘリックスとリモが寄り添っていた。
「リーフはかなり消耗したんじゃないかしら? 大丈夫なの?」
ヘリックスはリーフの表情をじっと覗き込む。
リーフの瞳はいつものように光を宿していたけれど、どこか微かに揺らいでいるようにも見えた。
「うん、大丈夫だよ」
「リーフ、ファルに危険が及ばないように、かなり力を使ってくれていたの。本当にありがとう。リーフのおかげでファルも無事だったのよ」
リモもリーフの消耗を感じ取っていた。
ファルは不老だけれど、不死ではない。
ファルを危険に晒さないための、リーフの細心の注意とその力が、彼女には分かっていた。
「ありがと。でもまだ大丈夫だから」
リーフは軽く微笑みながら答えたものの、その声はどこかいつもより少し弱々しく感じられた。
「リーフ、疲れてない? みんな心配してるし……部屋で休もうか?」
テラはそっとリーフの顔を覗き込んだ。
光は宿っている。でも、その輝きは、いつもよりどこか儚く、不安定に揺らいでいるように見えた。
テラは躊躇いながらも、そっとリーフを手に乗せて、自室へ移動することにした。
「大丈夫、そんなに心配しないで」
けれど――ヘリックスとリモの視線は、 まだリーフの様子を気にしているようだった。
ヘリックスとリモが心配するのも無理はなかった。
精霊の力は睡眠である程度は戻る。
けれども、大きく消耗した場合には、精霊界にある『自分の住処』へ戻り、根本的な回復が必要になる。
その住処とは、霊核を癒し、力を再び満たすための場所――いわば、精霊の命を支える『回復の拠点』だ。
過度な消耗があったとき、精霊は強制的にそこへ帰される。
問題は、今のリーフに『帰る場所』がないことだった。
精霊界の住処へ辿り着くには、依り代からその住処に『名で繋がる』必要がある。
しかしリーフは、そこに行ったことすらなく、名前も与えていない――
今帰れば、精霊界の広大な空をただ彷徨うだけになるかもしれない。
ファルは風呂から部屋へ戻り、髪を軽く拭いながら、温かい湯気の余韻を感じつつ着替えた。
救助の緊張がようやく解け、深く息をついた。肩から静かに力が抜けていく。
腹も減ったし、テラを誘って夕飯とするか――。
ファルは隣室のドアをノックし、テラに声をかけた。
「テラ、夕飯、食いに行こう」
声はいつもより落ち着いていて、わずかに疲労の色が滲んでいた。
「ファル、宿の食堂でいい? ちょっとリーフが心配なの」
扉を開けてファルと対面しているテラは、少し迷うように言いながら、思わず後ろを振り返る。
窓辺に座るリーフの後ろ姿に視線を向ける。
「リーフ、どうかしたのか?」
「リーフ、かなり力を使ってたみたいでヘリックスとリモが心配してたの。私も心配になって……」
テラの指先が、いつの間にか服の裾をぎゅっと握っていた。
その小さな動作に、彼女の不安が滲んでいた。
「ああ、テラからも褒めて労ってやってくれな。かなり頑張ってくれて、救助する時もあの場にいた全員が危なくないように、ずっと力使ってたんだ。俺が怪我しないようにしてくれたんだな。……やっぱリーフはすげーよ」
わずかな笑みとともに、ファルの眼差しが静かに温かさを帯びた。
それは、リーフへの深い感謝の証だった。
夕飯を早々に済ませて部屋に戻ると、小さなリーフは窓辺にいて、外を眺めていた。
体がうっすらと発光していて、まだ何か力を使っている様子だった。
「リーフ、戻って来たよ。今日はヘリックスはファル達のところだって」
「うん、お帰り、テラ」
リーフは後ろ姿のまま、返事をした。
「何かしてるの?」
「ううん、もう終わったから」
発光していた光が収束すると、リーフはテラのほうに振り返って微笑んでみせた。
土砂崩れの原因は、リーフの感覚ではおそらく土壌が痩せていること。
そのため、再び起こるのではと、土砂崩れ現場やその周辺を探っていたのだった。
「そう……。疲れてない?」
「ちょっと疲れたけど、平気」
その言葉に少しだけ迷いが滲んでいるのが、テラにはわかる。
「血、いまから飲む?」
「うん、そうする。ごめんね」
リーフをそっと手に乗せてベッドの枕元に運ぶと、荷物の中から針を取り出し、慣れた手つきで指先を刺す。
ぷっくりと膨らんだ赤い雫が、指先に光を宿していた。
テラはその輝きを見つめながら、そっとベッドへ腰を下ろした。
「はい、どうぞ」
リーフは柔らかな瞳でテラを見上げる。
「毎日ありがと、テラ」
血を摂取したリーフは、柔らかな光を纏いながらゆっくりとその姿を変え、王子様なリーフになった。
「テラ、もうちょっと、こっち、きて?」
「ん?」
リーフはそっと手を伸ばし、 静かにテラを引き寄せると、リーフの体はふわりとベッドへ沈み込むように横たわった。
「リーフ? 大丈夫?」
「ごめんね、すごく眠くて」
テラはそっと微笑んだ。
今日は本当に頑張ってくれた。
それがわかるからこそ、温かく言葉をかける。
「今日はいっぱい頑張ったものね。今日よりもっと幸せな明日が待ってるわ。おやすみ、リーフ」
抱きつかれていて動けなかったテラは、おでこは届かないと気付き、頬にちゅっとキスをした。
「うん、おやすみ。今日も、温めるから……大好き、テラ……」
囁くような言葉が夜気に染み込んでいく。
まるで夢の中へと静かに消えゆくようだった。
「こんなに疲れてるのに、温めるなんて」
今日くらい、そんなことしなくてもいいのに。
いつもより強く、しっかりと抱きしめる腕。
大きな姿、王子様なリーフになるだけでも力を使うのに……
そこに込められたものが、リーフの疲れだけでないような気がした。
いや、ちょっと身動きが取れないけど!
もう……リーフったら……。
だけど、今日はすごく疲れたのね。
こんなに早く寝ちゃうなんて。
ファルが怪我をしないように、それに、子どもだけじゃなくて、あの場にいた人たち皆を守ってくれたんだもの。
ほんとに優しくて、頼りになるのね。
テラは、穏やかに眠るリーフの顔をじっと見つめた。
整った横顔、なめらかな白銀の髪、そのすべてが夜の静けさに溶け込んでいた。
寝顔、やっぱり、すごくかわいい。
どうしようもなく可愛くて、つい笑みがこぼれてしまう。
隠そうにも、抑えきれないほどに。
こんなにかわいくて、カッコよくて、とっても優しくて、甘くて、頼もしいリーフが『好き』と言ってくれる。
「私も、大好きよ。リーフ」
今まで一度も恋愛的な意味で『好き』と言ったことはない、はず。
だからこそ――今も、そのつもりはない、つもり。
たぶん、この『好き』も、決して、決して……そんなわけはない。
テラは、そう信じ込むように自分に言い聞かせる。
今夜のテラは――親性脳の『束の間の』大勝利だった。